やぁ
古希のお祝いに家族みんなが揃った絵をご依頼いただいております♡
にがおえ制作実績
現在 74503名さまっ!
★★★★★★★★★★★★★
今日は、ばあちゃんの誕生日。
ばあちゃんは今年の2月に亡くなってしまったのだが。
享年97歳、生きてたら98歳になるのか。
当然100歳になるもんだと思い込んでた。
人は鏡という言葉が自分の中で太字テロップで出るようになったのは、ばあちゃんの葬式からだ。
理屈抜きで、なんか、好きだったばあちゃん。
会いたい人には、出来る限り会おうとしよう。
今日は、竹中にあるお寺 妙見寺さんに来た。
今年の4月のびのび道場でお会いした、央運さんにまた会いたかったのだ。
本日が、妙見さんのご開帳の日とのことで。
妙見さんのお顔は、ばあちゃんの若い頃に見えたし、となりにいた神様はなんだか友人に見えるような気がして にんまり笑えた。
初めてお会いするご住職の法話も、うなずけるもので とても良い時間になった。
直感に従い決めたこと、それを実行でき、とてもすがすがしい気持ちになった帰り道。
そして、その後 お仕事先さまとのオンラインミーティング。
ありがたいことに4コマ漫画を描かせていただき、それがウェブ用アニメになるとのことで 動画クリエイターさんとの制作用の打ち合わせだった。
いただける出番でチカラを発揮できるよう、日常は 地力をあげることだけ考えていこう と思う最近である。
毎日、わははと笑って 1日を終えよう。
笑うと若返り、怒ると歳を取ると という最近観た映画にあったセリフ。
なんかそれ、、、わかる気がする…😳
みにくいアヒルのままでいい とも言ってた。
なんか、今になって ようやくその意味がわかる。
そのセリフの意図とおんなじことを、妙見寺のご住職は話されていた。
仏教と、ヨーロッパの映画に、偶然にも同じメッセージを渡されるマコ。
それは昨日自分がブログで書いたことと同じことのようにも思う。
マジで人は鏡。
自分の想いが決まると、自分を取り巻く世界がそのように形づいてゆく。
それはまるで、仕上がってゆく絵とも似ていて…
なんか、こう、な 気がする。
というだけで 描き進めて来たけれど 人生もそんな風に進めてみても あながち的外れではないのかもしれない。
こわいのは、盲信しすぎてしまうこと。
自分の感覚ではなく、頭で これはこうするべきだ なんて。 みんな、こうしてるから と。みんながそう言ってたから、と。
自分もそこにずっと囚われていた自覚がある。
周りの求める“マコ”をやろうとして、出来なくて 苦しんだ。
そして同じく自分も、こうあってほしいと周りに求めていた。
ようやく固結びが全部解けたような安堵感がある。
さぁ、結ぼう。
ここから、100年続く絆を。
そして、1000の願いを叶えてゆく。
絆も、願い事も 自分のだと難しいらしいね。
結んであげる、叶えてあげる、は簡単みたい。
美容師さんが、自分の髪を切れないのに似てるよね。
料理人が、自分には作れないみたいな。
自分のためには描けない。
そりゃあ、描けるはずがなかったんだ。
人目の逸材です。